下から学ぶ 下学
下学(げがく)は初歩から学びましょうという意味ではありません。
年下の人が、悩んでそうだったり、困ってそうだったりした時、「自分はこうしたよ」と、
返せるといいのですが、反対に「僕も同じだよ」と言って、いまだに乗り越えていないと、
悩みや困りごとはたまっていきます。どうすればよいのかを考えると、年下から相談された時、
他人に対しては良いアドバイスができるものです。ポイントはそれを自分がやることです。
永遠の年下は、他人の為に考えようというと「僕はどうなるんですか?」と甘えますし、
コロナ禍の中、お酒を飲みたい、外でみんなと遊びたい若者は政治家にお願いしてしまいます。
大学は勉強できる環境にないので、今年は難しいという大学生もいます。頭を入れ替えることです。
努力は苦しいという思い込みがあります。アメリカのバスケットのNBAのスター選手が、出身の
スラム街で子供たちに言います。「すべからく努力した方が楽だよ」と。「僕はいい家に住んでいるし
いい車に乗っているし、いい料理も食べているよ」「みんなに楽をしてほしいから努力してほしいのさ」
「暴力に走ってギャングになったり、薬に走ったりして、それを環境のせいにしているのは苦しいよ」
バスケットが下手だったらきついから、上手になって楽をするための行動は、楽な道でありきつい道では
ないはずです。何もせずに、うまくならずに、勉強もわからず椅子にずっと座っているのはきついことです。
年下にアドバイスすることを自分がするのです。努力するは楽な感覚、努力しないは苦しい感覚です。
努力して成長するのは楽なはずです。