両功・両罪
勉強できることが良いことか、悪いことかわからないし、運動できることが
良いことか、悪いことかわかりません。良いか悪いかわからないのが両功・両罪です。
勉強できないからダメなわけでもなく、運動できるから大丈夫なわけでもありません。
どちらが良いのか、悪いのか、どちらも良いのか、悪いのかはわかりません。
何が出来たらいいのか、何が出来ないといけないのか、今から社会人になろうと
する時、挨拶できたら大丈夫か、資格がないとダメなのか、人はステレオタイプの
正解を求めます。自分で、その時、その場で、何が立派で、何が大人になるのか
考えることです。少し大人になりそう、少し立派になりそうなことを想像しながら
やってみることです。人の話を聞く、聞かないのどちらも選択できるよう、勝手に
決めつけないで、自分で考えることです。それを積み上げていけばそこそこにはなります。
なんとなく、何も考えずにやることは経験になりません。坐禅をやるその時間を言われた
通りにやっていたら立派な気がするのはおかしいのです。考えて姿勢に集中するのか、呼吸に
集中するのか考えてやることです。たとえ言われた通りにやっても、やるのが大事と思ったから
やっただけが自分と向き合うということです。人を介在させないで自分の思うとおりにやってみる
のが自主性でしょう。