アドラー心理学
我々が「何か生きがいがないなぁ、私は何のために生きているんだろう」と思っている時、一体何が起こっているの
でしょうか。何か自分とこの世界がかみ合っていないとか、何か手ごたえがないとか、自分がやっていることが思う
ような形で返ってこないという感じがあるのです。今、自分と周りの世界との手ごたえのある付き合い方を考えるとき、
アドラーは五つのレベルに分けて考えました。まずは「遊び」というレベルです。それから「仕事」、次に「交友」
その次は「愛」、最後に「スピリチュアリティー」となります。まずは遊びですが、動物が生命を保っていくのに、もの
すごく基本的なものです。植物は遊びません。多くの人が子供とは遊びますが、夫婦二人だけの遊びというのは中々ない
ようです。遊びには自分だけのもの、夫婦のもの、家族全体のものの三つのレベルがあります。遊びというのは決して生産
的ではありませんが、生産的なものだけが人生の価値ではありません。 生産的な部分が「仕事」です。専業主婦が
「虚しい‥」と言ってるのは、自分が生産的ではないと強く思っているからです。しかし、母親という仕事程、生産的な
ものはこの世の中にありません。我々がこの世に生まれた意味は、遺伝子を運ぶためと言えるかもしれません。父母から
受け継いだ遺伝子を子供に渡していゆく。そのためにちゃんと育てる育児が大切になります。総理大臣も日本中のお母
さんが安心して子育てできるようバックアップしているのです。ですから自信を持って職業欄に「専業主婦」と書いて
下さい。 「交友」 困ったときに人から離れてしまうと、リアリティーを亡くします。逆に言えば現実性はいつも他
の人と話し合い、確かめ合ってゆく中からできます。たった一人でも話し合える人がいるといいのですが、本当は最低
二人いるといいんです。一人は同性の友達、もう一人は配偶者です。同性の友達、異性の友達一人ずついて、両方に
相談できるといいですね、「愛」は性的なコミュニケーションです。いい遊び相手であり、いい仕事仲間であり、いい
友達でいて、その上に性的関係があることが、充実した日々を暮らし「生き甲斐がある、生きていて良かったなー」と
思えるすごく大事な要素だと思います。先祖代々みんなスケベだったから今があるのですから。 最後にスピリチュアリティー
です。人間との付き合いではなくて、人間の力を超えた力との付き合い、例えば神様とか仏様とか、例えば運命とか宇宙の根
本的な存在とか、人間を超えた力との付き合いがあるということが、やはり、我々が生きがいを考える中で大きな要素だと思います。
どうして大きな存在が必要かというと、それは我々の文化だからです。「世界とかみ合っている」という感覚を持つのは、日本という
文化の一番基本的な部分と自分たちがかみ合っているという感じがあるからです。盆や正月に実家に帰るのは先祖供養ですし、お墓を
きれいにして花をお供えして、お参りすると心が落ち着くのはそういうことなのでしょう。