厳しさ
厳しさを考えるとき、勘違いしていることがあります。「努力している人は、自分に厳しい」と
いう文章は、自分の弱さと向き合っているだけの、贅沢な時間をすごしているといえます。
自分の気に入らないところがあって、自分が気に入るように強くなりたいわけです。生徒が自殺
した時、校長先生は気付かなかったと釈明しました。「気にかけてあげればよかったのに」という
深い反省があれば、それが厳しさなのでしょう。自分の人生だけで甘えていたかもしれない、
声をかけてあげたらよかったのに、出来ることがあったかもしれないという時、他者は「あなたは
別に悪くない」というでしょう。「我々が悪い」と言い切る覚悟がないのは甘えかぶっているのです。
人を救う、人を助ける、人のことを考えることが社会貢献なのです。自分が勉強して成績が良くなる
ことに努力という言葉を使わないことです。努力をわがままと一緒にしてはいけません。「俺が悪い」
「俺の力が足りん」という覚悟がないと、人の痛みや苦しみを自分のこととして痛み入る人が、
人の役に立つことができるのでしょう。なぜ走るのか?なぜ勉強するのか?自分のためではなく、
いつか辛い人のために役立つように頑張るのです。