2019.9.12
生徒の言葉
さつま揚げ君:プランターを倒しているときに考えたことは、「学校つぶれてしまえ」「つぶしてやる、先生なんか消えてしまえ」ということです。プールに火山灰を入れたり、机を投げ込んだりしていました。僕は当時まだ鹿児島県にいたので、学校には集めていた火山灰があったのです。学校を破壊してやった後、僕は満足感とともに家を出ることにしました。知らないマンションの階段下でゆっくりと寝ました。不思議とさみしくもなくぐっすりと寝ました。日が昇ってきて目が覚めました。お腹もすいてきたので自宅に戻ることにしました。親がいないことを確認すると、自宅に入りご飯を食べました。友達と連絡を取り、友達がお金を持ってくるので遊ぼうということになりました。その友達も学校に行っていませんでした。友達がお金を持ってくることになっていましたが、向こうの親のガードが固くて無理でした。その夜になって友達から「今なら大丈夫だよ」と言われたので、友達の家に行きました。すると、そこには友達の親と先生 がいました。二人が かりで取り押さえられました。そのあと警察に行って取り調べを受けました。そして僕は学校に行かなくなりました。その原因は今の僕にはわかりません。
午後ティー君:なぜ、僕が引きこもったかというと、勉強についていけなくなり学校に行くのが嫌になったからです。引きこもっていた時は何も考えていなくて、気づいたら寝て起きて、おなかがすいたら何か食べて、ゲームをつけっぱなしにして、テレビを見る、こんな生活でした。友達や先生が連絡してくれましたが、当時はただウザったく思うだけでした。運動もせず、ゲームとテレビで一日を過ごし、世のなかのほとんどを恨んだり、嫌ったりしていました。家族は最初メチャクチャ怒っていました。兄弟関係もうまくいかなく なりました。でも今はすっかり変わっています。
マスク君:引きこもっていた期間は中学3年生の夏休みから高校1年生の夏ぐらいまでです。およそ1年間引きこもっていました。引きこもっていた理由は、自分でもよくわからないのですが、授業中にずっと寝ていたところ、担任ではない先生に叱られたことかもしれません。「受験はどうするんだ」この言葉から逃げたのかもしれません。引きこもりの時には、親から「学校に行きなさい」と言われても行きませんでした。先生が自宅に来てくれても会いませんでした。朝、友達が来てくれてもトイレに閉じこもりました。引きこもりの時は悪い事ばかりしていました。それでも受験はやってきます。いつまでも中学生ではいられなくなります。「高校に行くか決めなさい」と親に言われました。何も決めずに過ごしてきたので、どうしていいかわかりませんでした。でも高校に行くと決めました。入学式の日は行きました。その次の日から行かなくなりました。理由はわかりませんでした。朝になると、なぜ、学校に行かないのか考えました。しかし、自分にはどうすることもできませんでした。高校は弁当が必要でした。お母さんは毎日弁当を作ってくれていました。引きこもりの時はみんなに迷惑を掛けました。引きこもりはダメです。
ティッピー君:自宅にいる時に、考えていたことは、「このままでいいのかな」「ねむたい」といったことでした。引きこもっていた時、周りの人達は、僕を学校に行かせようとするけれど、僕は行きませんでした。学校に行かない僕のせいで親も悲しんでいました。今は昔と違って、不登校はやさしいです。いわゆる不良(ヤンキー)が多いイメージですが、今は、ほぼ全員「いい子」で優しいです。「フリースクール玄海」で周りの人達と話していると、そういう感じます。これは、 新聞とちょっと違うかな?と感じた部分でもあります。周りの先生方は、電話をしてきてくれたり、学校から 家まで迎えに来てくれたりしてくれました。でも、僕は学校に行くことはありませんでした。自宅から離れ、いろいろなことを学ぶ中で、全部周りのせいにしていると、人間、生きていけないと感じました。また、家族は、いつも僕のごはんを作ってくれていました。今ならそのありがたさに気が付くことができますが、当時は、まったく心が動くことはありませんでした。
Ñ君:自分は学校での人間関係が嫌になり、学校へ行くのをやめて引きこもりました。ずっと自分のことを考えて、親ともうまくいかず、視野をせばめていきました。未来の事はもちろんのこと、何も考えず、 ただひたすら、同じことを考えていたと思います。生活習慣ももちろん、めちゃくちゃでした。食べ物もあまり食べず、好きなことだけをして、現実から逃げていました。結局何を考えていたのか、当時の 心境は、あまり客観的な言葉で表現することは難しいです。言葉では言いようのないものでした。 周りのことは、とにかく自分優位でしか考えていませんでした。もちろん、それで何かがうまくいくこともなく、結局周りを傷つけ、自分も勝手に傷ついて同じことの繰り返しでした。視野が狭まると、 苦しさから逃げるために、いろんなものを切り捨ててしまう。自分の現状から目をそむけ、義務を 遠ざけ、物事を先送りにして本当に考えることをやめてしまいます。今ではそれを本当に怖いと思います。自分と向き合うというのは、本当は自分のココロと向き合うのではなく、自分の行動と向き合うということなのかもしれません。心理的な部分にばかり気をとられていると、袋小路に入り込んで、自分がやりたいことも、何もできなくなってしまうからです。
くきお君:自宅にいるとヒマだなと感じることが多くありました。せっかく引きこもったのだから、わざわざ勉強なんてしたくないと思って、学校のことなど、極力考えないようにしていました。それでも、引きこもり始めてから4ヵ月くらいになると、「いつかこういう生活も終わるのかな」と不安になっていきました。中学3年生になってからは、スクールカウンセラーの方から、学校以外にも登校する場所があり出席日数になることを教えてもらいました。色んな登校の方法があることを 知って、少し頑張ってみようかなと思うようになりました。引きこもっている間、同級生が学校に誘いに来てくれました。そのときは、「なんでそんなに僕にかまうんだ」と嫌な気持ちにまりました。 僕が引きこもった理由は、小学生から中学生になるときに、別の学校からくる人はいるということでした。別の学校から来た人と接すると、小学校から一緒だった人の態度がガラリと変わってしまいました。 僕はそれがとても嫌でした。不登校になってからの生活は、ご飯は親がいない時に食べ、お風呂は1週間に1回。トイレに引きこもったり、夜の2時に寝て朝の10時に起きたりするような生活をしていました。引きこもっているときは、話しかけてほしくない状況であると自分でもわかっているので、そのことを踏まえて接してあげてほしいと思います。
デべきん君:僕は学校に行きたくなくて、引きこもった。1年くらい引きこもった。引きこもっているときは、学校に行きたくない,ゲームをしたいと考えていた。理由は、学校に行ったら勉強をしないといけないし、ゲームは楽しいからだ。なぜ引きこもったのかは一言で言うなら、「勉強が嫌いだから」ということだろうか 引きこもった時にやっていたことは、寝ているか、テレビを見ているか、ゲームをしているかのどれかでした。なぜ、学校に行けなかったのかというと、最初は勉強がわからないから、勉強嫌いで行かない。そして、 1週間くらいたつと、学校のみんながどう思っているだろうかと気になり、教室に入りづらくなり、学校に行けなくなった。引きこもっている間、一度か二度、夜中のコンビニに行き、お菓子とジュースを買ったことがある。すごくドキドキしたのを覚えている。悪の魅力というのだろうか。別にコンビニでお菓子屋やジュースを買うのは、悪いことではないけど、学校に行っていない自分が、夜中や入力こっそりと好きなものを買ったという冒険の気持ちを覚えているのかもしれない。そういえば、小学校4年生のこと、おばあちゃんの財布からお金を抜き取って、ゲームを買ったことがあった。今なら、そんなことはしないのに、ごめんなさい。
ネオンテトラ君:自宅にいるとき、僕はテレビやゲームが中心の生活をしていました。僕は中学に入ってから あまり勉強についていけなかったのが原因で学校が嫌になり、少しずつ休みがちになり、入学後1カ月くらいから引きこもり始めました。引きこもっているときは、勉強や将来について考えていました。このままではいけない、少しずつ変えていかないと大変なことになると、頭の中で、グルグル考えていました。しかし、何をしていいかわからず、周りにもこの気持ちを理解してくれる人がいなくて、なかなか行動に移すことができずにいました。最初の頃は、学校の先生や友達が家に来てくれたり、母が呼びに来てくれたりしていたのですが、時間が経つにつれ、少しずつその回数は減り、1年後には、全く誰も来なくなりました。これからも引きこもりの数は減らないと思います。一人でも味方してくれる人がいると心強いと思います。
スプリットチェンジ君:私は去年の6月に突然、引きこもり始めました。理由は、前日まで夜遅くまで遊んでいて、次の日の朝が眠くて起きることができなかったというものであった。眠気が強すぎて、学校に行く気分にならなかったということです。翌日からは、ちゃんと学校に戻ろうとしました。しかし、家から出ることはできませんでした。出たくない気持ちが強かったのです。そのまま、引きこもりを続けました。僕はそれまで、欠席もほとんどなく、勉強もがんばっていたので、当初、授業に遅れたくないという気持ちもありました。しかし、引きこもりを続けているうちに、めんどくさいことを全て投げやりにして、何もかんがえないようにすると、学校の授業に遅れていることも気にならなくなりました。それでも、親は自分に何も言ってきませんでした。学校の先生が自分の家にやってきて、僕と話そうとしていました。私はそれも無視しました。その後、先生が来ることはもうありませんでした。学校の同級生や友達から手紙や電話をもらいましたが、それらを全て無視しました。そして、半年が経つ頃、親が新しい高校を勧めてきました。もちろん、私はそれを拒否し、広島の祖父母のところに逃げました。その後、「フリースクール玄海」に出会い、手を差し伸べてもらい、現在に至ります。引きこもり生活を振り返ってみると、毎日がとても楽であって、あっという間に過ぎてしまう楽しい時間でした。そんな私は特に誰かに寄り添って欲しいという気持ちにはならなかったように思います。
やなせたかし君:自宅にいる時に僕は、とてもゲームにはまってしまい、夢中になりがむしゃらにゲームをやっていました。そのせいであまり学校に登校しなくなり、さらにそれが悪化して学校に全く行かなくなりました。学校のみんなは僕を忘れ、どこかよそよそしく、何人かしか以前のように話してくれませんでした。 たまに行く学校ではその少数の何人かと話をして過ごしていました。クラスの人は「久しぶりに顔を見たよ、おまえ」を出してきているように、とても緊張するようになりました。勉強するときにも、人見知りと久しぶりすぎるからか緊張しすぎる、とてもし集中して取組むことができる状態ではありませんでした。完全に不登校になって全く登校しないようになった時のことです。お昼のです。3時と言えば当時の僕にとっては深夜です。その時間に玄関のインターフォンが鳴りました。そこには担任の先生がいました。僕を見るなりいきなり引っ張り出して、そのまま車に連れて行こうとするのです。無理やり車に乗せられて学校に連れていかれました。それからはこの先生とはとても会う気にはなれずに、さらに不登校の決意が固まりました。