努力
「努力」は目的、目標があるとき必要だと言われます。嫌われたくないように、
認められたくて、あるいは褒められたくてやっても、いくら失敗しないようにやっても
評価は他人のきめることです。評価の基準があったり、答えがあれば良いのですが
ありませんから、自分が何ともならないことを目指すことになります。子供から認め
られたくて子育てするわけではありません。学生が監督に褒められたらそのスポーツが
向いているわけでもなく、叱られても向いていないわけではありません。努力は「自分が
何々をする」で終わりです。見返りがあるかどうかは他人が決めることで、見返りを求める
のは努力のはき違えであり,それは邪魔にしかなりません。また、他人のことを評価することは
偉そうに勘違いしているだけで時間の無駄です。写経や坐禅、ランニングに見返りを求めず、
大事にすることです。大事に育てられた君たちは、出会った人やことを大事にすることです。
他人に認められたい、何々をしてほしいという見返りを突き抜けて、自分が一方的に大事にする
ことです。大事にする力がついたら大人です。