全寮制のフリースクール玄海は、子どもの自立心を養いながら、勉学に励み成長していくフリースクールです。

生徒の言葉

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出会い

2020/03/14

 私は中学校の三年間でとても成長したと思います。でもその成長は少し

 

 大袈裟にいうと九割は周りの人のおかげで、残りの一割が自分の努力の

 

 成果だと思っています。

 

 中学校の一、二年の時の私の考えは何でも一人で出来るから助太刀なんか

 

 不要という訳の分からない思いがありました。今思えばとてもアホらしくて

 

 恥ずかしいけど、その経験がないと今の自分には成れてないと思います。

 

 その間違った考えを直すには一年という月日が必要でした。

 

 わたしが一番感謝しているのは同じクラスの友達と福岡で出会った山本先生

 

 という人です。同じクラスの友達は色々なことで助けてもらったり、微力

 

 ながら私も友達を助けることが出来たと思います。普段は恥ずかしくて面と

 

 向かって言えませんが、本当に感謝しているので卒業の時くらいは感謝を

 

 伝えようと思います。

 

 山本先生は私が間違えているときは本当に怒ってくれて、成功した時は心から

 

 褒めてくれる山本先生の口癖は「いくらでもチャレンジしろ、責任は全部

 

 取ってやる」というメチャクチャかっこいい言葉に騙されたと思ってチャ

 

 レンンジしていたら、周りの人からも褒められるようになりとても嬉しかった

 

 す。でも私は心が弱いのでしだいにチャレンジしなくなり、傲慢さが出て

 

 きました。すると山本先生は「人間なんてみんな弱いねん、俺もサボろうと

 

 思うことはあるわ、でもそこで自分に勝つ方がカッコいいやろ?」と言われ

 

 確かにその通りと思い、立ち直れました。

 

 私は弱いのですが、周りの人はみんな強くてかっこいいので、肩を並べて歩け

 

 る様に今後もチャレンジし続けたいです。       熊本の午後ティー

立志に向けて

2020/03/12

まず、1年を通しての感想は、悲しかったり苦しかったり楽しかったりした1年でした。

 

そんな1年の中で思い出に残ったエピソードが4つあります。

 

1つ目は、唐津のトライアスロンです。その中で特にランの10kmがめちゃめちゃきつかった

 

のを覚えています。

 

2つ目は、ソフトボール大会です。

 

最後に僕がアウトになってしまってゲームが終わってしまったことを覚えています。

 

3つ目は、一燈園です。

 

行願で一軒もまわれずに悔しくて、路頭でがんばって三軒まわれてうれしかったことを覚えています。

 

四つ目は、かすやスイムカーニバルです。一時間耐久リレーでチームの皆の応援を頑張れたのを

 

覚えています。

 

この1年での反省するところは、最初の2カ月か3カ月の間あいさつや返事をしなかった事で、

 

良かったところは、玄海に入ってないと絶対していない経験ができたことです。

 

玄海に対しての感謝は、色々な経験をさせてくれたことで、親に対しての感謝は、トライアスロン

 

などの応援に毎回来てくれたことです。

 

僕が学校に戻ったら、さぼらずに塾に行き、絶対に光陵高校に合格したいと思います。

 

デベきん

スノーボード旅行

2020/02/25

 スノーボード旅行に行く前に、今年は行のバスで「貝汁を飲もう」と思っていました。

 

 博多駅でバスにのる前にじゃがりこと水を買いました。バスに乗ってからは小倉駅で

 

 休憩がありました。小倉駅前のコンビニでサンドイッチを買いました。卵サンドイッチ

 

 がおいしかったです。次の休憩は貝汁のお店でした。貝汁は去年食べていなかったので、

 

 今年は食べようと思っていました。貝汁は貝がたくさん入っていて、貝汁の汁はお味噌

 

 でおいしかったです。スキー場についてお弁当を食べました。その後はインストラクター

 

 の田島さんにスノーボードの乗り方を教わりました。スノーボードは昨年行っていたので、

 

 2回目でした。午前中で足がパンパンになりました。お昼ご飯はスキー場のカレーで

 

 福神漬けがおいしかったです。4時30分くらいにスノボーが終わり、いこいの村広島に

 

 行きました。、まずいこいの村広島では温泉に入りました。すごく温まりました。

 

 晩ご飯は茶碗蒸しとカキフライ、鍋とみそ汁、角煮と漬け物がありました。カキフライは

 

 ご飯を何杯も食べれました。鍋のスープもおいしかったです。二日目のスノボーは下川

 

 さんにターンを教えてもらいました。ターンは出来なかったけどターンみたいなものは

 

 出来るようになりました。二日目の昼食はラーメンでした。ラーメンは豚骨醤油味でした。

 

 帰りのバスではコロッケを売っているお店に行きました。コロッケを買うと豚汁も付いて

 

 きました。スノボー旅行にまた行きたいと思います。スノボード旅行の中ではコロッケが

 

 一番おいしかったです。

 

 

冬休みに向けて

2019/12/17

 二学期は運動面では手応えがありましたが勉強の量が減ってしまったのでそこを反省材料として

 

冬休みへの文を書きたいと思います。

 

 まず、一つ目の学習面ですが、三月五日にあるTOEICの試験に向けて毎日リーディングとリスニングを

 

三時間以上勉強して進め、それに伴い分からない英単語を覚えてきたいです。勉強は一日休むと、

 

その癖がついて連続してやらなくなる負の連鎖になってしまうと思うので毎日やることを念頭に

 

入れておきたいです。

 

 次に運動面ですが、毎日二~三キロ余力があれば腕立て伏せもしたいです。夏休みの時は昼間ずっと

 

暑くて早朝しか走るタイミングがなかったのですが、冬休みは昼間も気温が低くて寒いと思うので毎日

 

一回は必ず走り、それプラスで走ることが出来れば体力が落ちずに冬休みを過ごせると思います。

 

 最後に生活面ですが、夜更かしをして朝寝坊をしていては今までの生活の意味がなくなってしまうので

 

十一時までに寝て八時に起きれるようにしたいです。お手伝いは皿洗いを毎食し、風呂掃除やトイレ掃除も

 

やりたいと思います。

 

 夏休みは不登校だったときの弱い自分がかなり出ていたので親に怒られないようにし、自分が変わった

 

ところを見せれるように過ごしていきたいです。

 

スプリットチェンジ

一年を振り返って

2019/12/02

 昨年の11月8日にフリースクール玄海にやってきました。1週間体験は不安だったけど

 

 優しい先輩たちのお陰で、すぐに玄海の生活になれることが出来ました。入って最初の

 

 イベントは演劇発表会でした。緊張したけど楽しいイベントでした。その後にハーフ

 

 マラソンがありました。練習では何度も弱音を吐いていましたが、本番では無事に完走

 

 することが出来ました。そして4月に入りいよいよトライアスロン練習が始まりました。

 

 トライアスロンについては不安しかなかったけど、その頃、グリゴリ先生に「このままじゃ

 

 お前らは変わらず、言われてからやる奴隷だよ、自分からやって主人公になれよ」という言葉に

 

 ハッとさせられました。それからは物事に対する考え方が180度変わりだしてきました。

 

 今まで消極的だった事にも積極的に挑戦する様になりました。このことを意識してトライ

 

 アスロンの本番も走ったら、制限時間にはギリギリ間に合わなかったけど、完走出来たとき

 

 はとても嬉しかったです。卒業するまで残り1カ月の11月の初めに一燈園研修がありました。

 

 今までの集大成をここで見せろと色んな人に言われて、今まで以上に頑張ろうという気持ちに

 

 なりました。行願や路頭では何度も 断られたりしたけど、出来たときは嬉しかったです。

 

 玄海に来てからは大変なこともあったけど色々なことを教えてくれた先生や先輩、後輩、

 

 両親には感謝の気持ちが一杯です。一年間ありがとうございました。    ネオンテトラ

オイスカ研修を終えて

2019/11/18

十一月九日から十六日の一週間、スプリットチェンジ君と一緒にオイスカ西日本研修センターへ

 

研修に行きました。行く前は農業をするのは知っていたけど、どんな農業をするかは知りませんでした。

 

この研修の中で印象に残ったのは、ビニールハウス作りと、鶏の世話でした。ビニールハウスは三日間

 

かけて作りました。まずはビニールハウスの周りを土で埋めることから始まり、ビニールを張ったり、

 

農薬を撒いたりしました。鶏の世話では、鶏にえさをあげたり、小屋の掃除をしたりしました。

 

他にもLPガスのガスフェアーに行ったり、MUFGとの交流会の手伝いをしたり、研修生のバンブーバンドや

 

フィジー、インドなどの色々な国のダンスを見たりしました。

 

オイスカでは、農業のことはもちろんですが、改めてあいさつなど

 

礼儀の大切さに気付くことが出来ました。

 

デリックさんやのぞみさん、研修生の皆さんのおかげで、大変だったけど楽しい毎日を

 

過ごすことが出来ました。

 

今月玄海を卒業するので、オイスカで学んだことを生かして、残りの玄海生活や玄海を卒業した後の

 

生活にも生かしたいです。

 

この一週間の間でお世話になったオイスカの職員の皆様やデリックさん、のぞみさん、研修生の皆さん

 

短い間でしたが色々なことを教えてくださってありがとうございました。

 

ネオンテトラ

オイスカ研修の一週間

2019/11/17

 オイスカ研修に一週間行き、特に印象に残ったことが二つあります。

 

 一つ目は朝と夕方にある国旗掲揚と国旗降下、そしてそれに伴う点呼です。国旗は研修生の

 

 それぞれの母国のものが全てそろっています。1人1人が一つの国旗を担当するので、まず

 

 国旗に敬礼し、それぞれが配置につき掲揚を始めます。そしてそれが終わると点呼が始まり

 

 ます。それぞれの班に分かれてするのですが、服装点検では班長が班の人に「休め 服装点検

 

 始め、止め、異状ないか、気をつけ、番号」と言います。そしてリーダーに「フリースクール

 

 総員2名 欠員無し 現在2名 番号」というのが点呼の一通りの流れです。僕はこれを毎日

 

 言う係だったので、最初は全く覚えられなくて何回も注意されました。しかし日が経つにつれ

 

 完璧に言えるようになりました。二つ目は午前そして午後の間、ひたすら行う農作業です。「何と

 

 なくきついだろうな」とは思っていましたが、実際は予想を超える大変さでした。内容はビニール

 

 ハウスや土の整備、野菜の間引きや収穫、販売の準備そして鶏の世話などといったものでした。

 

 普段農家の人達はこんなことをしているんだなと考えると、こんなところで「きつい」とは言って

 

 られないという気持ちと同時に、農家の人達のありがたみを感じました。最後にオイスカの研修生

 

 たちは点呼を母国語ではない日本語でほぼミスなく言えていて、農作業ではきつそうな顔は見せず

 

 わからないことは教えてくれたりと、自分とは全然違う人達だなと感じました。また色々なところで

 

 自分の悪いところがはっきりと出た一週間だったので、その課題を見つめ直して、またフリースクール

 

 玄海の生活に生かしていきたいです。そして、オイスカの研修生の皆さん、スタッフの方々、一週間

 

 お世話になり本当にありがとうございました。     スプリットチェンジ

 

 

 

一燈園研修を終えて

2019/11/11

 研修を振り返って特に印象に残っているのは、朝課、晩課、六万行願そして路頭の三つです。

 

 まず朝課、晩課それぞれ約30分間、正座をしてお経を唱えます。やはり畳の上といえども

 

 約30分間正座することは本当に大変で、言葉では言い尽くせないくらいの痛みがあります。

 

 しかし、久光製薬の方や学校に通っている子供たちが頑張っているのだからと思い、途中から

 

 お経を読むことだけに集中すると痛みが少し和らぎました。六万行願では電車で二条駅まで

 

 行き、住宅街に出向いてトイレ掃除をお願いしに行きました。電車の中ではすぐ掃除させて

 

 もらえるだろうと想像していました。1人でバケツを持って歩きだしたとき、どうすればいいのだろう

 

 と言うパニックにに陥りました。いざ始めてみると断られ続け、もう駄目なのかという諦めそうに

 

 なりました。残り30分になり思いきって遠くに行ってみると、「せっかくのご縁なので」とお許しを

 

 頂けました。飛び上がりそうなくらい嬉しかったのと同時に安堵感がこみ上げてきました。そして人生で

 

 一番心を込めてトイレを掃除しました。路頭では「ここから先は一人でどこかにお手伝いをお願いし、

 

 13時30分までに帰るように」と指示を受けました。前日の行願の経験があったので心に少し余裕が

 

 ありましたが、一件目で軽く断られて不安しかなくなりました。しかし2件目でお許しをいただき

 

 駐車場の掃除を始めました。夢中になってごみをかき集めていたので2時間があっという間に経過

 

 しました。そしてオーナーに挨拶をしに行くと、「何か食べていかないか」と言われカレーを

 

 いただきました。本当にありがたい気持ちしかありませんでした。研修を終えていつも行っている

 

 下坐業や写経、そして坐禅などを甘い気持ちでやっていることに気づきました。なので行願や路頭

 

 の時の気持ちを思い出して、意識高く行っていきたいと思います。そしてこのような機会を与えて

 

 くださった一燈園の方々に感謝の意を示したいと思います。本当にありがとうございました。合掌

 

                                   スプリットチェンジ

 

                                           

立志に向けて2

2019/11/01

 初めて玄海に来たのは9月でした。来たばかりの時は家に帰りたい気持ちでした。一週間体験が

 

 終わって、家に帰れなかったので150mぐらい逃げました。でも、つかまってよかったです。

 

 11月に一燈園に行きました。一燈園に行ったとき行願がありました。行願で初めての家に行く

 

 ときは体がフワフワしていました。なかなかご縁がなく15件ほどぐらい回ったらご縁があり

 

 ました。その時はうれしくてすごく印象に残っています。3月にプロレス大会がありました。

 

 プロレス大会の試合の流れが分からなくて、第2試合のみんなで考えました。試合の日が近く

 

 なってくると、皆どんどんできるようになりました。プロレス大会の終わった後は不思議な

 

 感じでした。5月と6月にカヌーを作りました。1人乗りの海で乗るカヌーでした。そのカヌーは

 

 材料がベニヤで、部品が.バラバラで送られてきて作るものでしたで。.バラバラの部品をボンドで

 

 着けて、形が出来上がったところにペンキを塗ったらきれいになりました。海に浮かべて乗ると

 

 カヌーは二つに折れました。悲しかったです。トライアスロン大会に3回出ました。最初の大会は

 

 大会本番の一週間前に怪我をしました。大会に出たかったので悔しかったです。2回目の大会は部長に

 

 なってトライアスロンの練習をしました。でも本番でバイクの周回数を間違えてチームが失格になり

 

 ました。悔しかったし迷惑をかけました。悔しくても気分が落ち込んでもやらないといけないことが

 

 あると思いました。3回目の大会は前の大会と同じチームの人と先生が出てくれました。最後は完走

 

 できて、一緒に大会に出たり、応援してくれた人たちに感謝出来ました。

 

   一年間ありがとうございました。これからも頑張ります。      マスク

立志に向けて

2019/10/31

 初めて玄海に来たときは、「ここってどんなとこなんだろう」と思いながら見学しました。

 

 その数日後、一週間体験をするために、また玄海に来ました。一週間が終わると親が来て

 

 、話し合いをして入寮が決まりました。入寮するときつい毎日が始まりました。毎日、

 

 朝走ったり、ボクシングをしたり、下坐業、座禅、写経をしたり色んなことを初めてしました。

 

 わからないことがあったら先生や先輩が教えてくれました。 玄海の生活には合宿があります。

 

 僕が初めて行ったところは一燈園という所で、最初に行ったときはびっくりしました。

 

 トイレ掃除をするために街に出て家をまわり、トイレ掃除をお願いするものでした。

 

 トイレを磨くことができたときはうれしかったです。そして精神も鍛えられました。

 

 楽しかったのはスノーボード旅行でした。初日は上手く滑れなかったけど、2日目になると

 

 コツをつかんで、上手に滑ることが出来てうれしかったです。きつい時もありました。

 

 ハーフマラソンの練習の時に、毎回抜けない子がいて、毎回悔しかったです。なので

 

 「絶対抜いてやる」と思って本番走りました。最初は後ろについてずっと走っていました。

 

 途中でやっぱり段々きつくなって離れてしまいましたが、練習の日々を思い出すと

 

 自然に力が出てきて、追いつくことが出来、最後に追い抜くことが出来ました。

 

 その時はとてもうれしかったけど、きつくて動くことが出来ませんでした。

 

 それからまだ色んなことがありました。プロレス大会やダンスの発表会など

 

 色々ありました。玄海では思い出すだけで色んなことが思い浮かんできます。

 

 なので辛い時は玄海の事を思い出して、これからの毎日を頑張ります。

 

 最後にフリースクール玄海に出会えて本当に良かったです。

 

 ありがとうございました。  たかが玄海  されど玄海  ティッピー

 

 

 

 

立志に向けて

2019/09/26

玄海の体験の時、「ここに入るのか」と思ってました。 だけど、少しわくわくもしていました。

 

いざ玄海に入寮してみてて思ったことは、入寮してみて毎日朝早く起きて走ってというのが

 

とてもキツかったです。だんだんなれ始め寝坊も増えてきました。玄海での部活が、水泳か

 

ボクシングで、ぼくは、ボクシングに興味があり、ボクシングを選択し、ボクシングをする

 

ことになりました。ボクシングを簡単にすることはできなく、最初の方は、見学ばかりでした。

 

一週間がたちコーチに、「ボクシングをやらせてください」といいコーチは、「本当に頑張れる?」

 

と聞かれぼくは、「はい」と答え、その日からオリエンテーションが組まれました。三日間

 

オリエンテーションをし、ボクシング部と一緒に練習することになりました。その他に玄海での

 

行事は、たくさんありました。ハーフマラソンや一燈園やスノボー旅行やプロレス大会やスパー

 

リング大会などいろいろな行事がありました。三月にあったプロレス大会では、ボクシングの練習で

 

親指を骨折してしまい、第一試合を変更して、ライガー先生に出てもらうことになりました。

 

けどせっかくここまで練習したからとライガー先生が言い少し出させていただきました。スノボー旅行は、

 

バスで広島に行き、スノボーをしました。とても楽しく遊べてよかったです。立志に近づき色々なことに、

 

熱が入りはじめ、下坐業をしっかりするようになりました。トイレをみがくのを頑張りました。

 

とくに一番頑張ったことはボクシングです。高校でボクシングを続けたい気持ちがあり、コーチに、

 

体力のつけ方や筋トレのやり方などを聞いていると、夜の練習に来たらと言われ、行く事にしました。

 

だんだん立志も近づき、このままでいいのかなと考えることもありとても不安になることもありました。

 

もっともっと玄海で学べることを学んで、生活したいと思いました。立志するまでにもっといいとこを

 

学んでこれからの生活にいかしていきたいです。

立志に向けて

2019/09/23

 玄海に入る前の私は、勉強もせず、運動もせずに家で一人だらだらと過ごすのが日常でした。

 

 そんな時に両親から「福岡にめずらしいフリースクールがあるんだけど、見に行くだけ行かない?」

 

 と言われて、フリースクールという言葉はピンときませんでしたが、本当にやる事がなかったので、

 

 体験入寮する事も話し合って、次にの日に体験に行ったら「もう来たの?]と先生方がおどろいて、

 

 「そんなに珍しい事なのかな」と少し不思議に思いました。

 

 体験では久しぶりの運動と、久しぶりの勉強をしたので心身ともにきつかったです。

 

 体験の一週間が終わり、入るかどうかの話し合いをする時が来ました。もちろん、私は家で

 

 だらだらする方が楽なので、親を説得しようとしましたが、相手側はもう固まっていたようで

 

 空回りで終わりました。今考えると、この時点で開き直って腹をくくったことが一歩目

 

 だったんだなと思います。入寮した後は流れるように時がたち、その中で色々なことを

 

 先輩や同い年、時には後輩からも学べることが非常に多くあり、本当に充実した一年

 

 だったから、今までの人生で一番早く過ぎた一年でした。

 

 ときには勉強したり、バカなことをして怒られたり、理不尽なことで怒られたりも

 

 しましたが、今となっては不思議なことにどれも大切な思い出です。

 

 

 

 

引きこもっていた時、何を考えていましたか?

2019/09/12

 さつま揚げ君:プランターを倒しているときに考えたことは、「学校つぶれてしまえ」「つぶしてやる、

 

 先生なんか消えてしまえ」ということです。プールに火山灰を入れたり、机を投げ込んだりしていました。

 

 僕は当時まだ鹿児島県にいたので、学校には集めていた火山灰があったのです。学校を破壊してやった後、

 

 僕は満足感とともに家を出ることにしました。知らないマンションの階段下でゆっくりと寝ました。不思議

 

 とさみしくもなくぐっすりと寝ました。日が昇ってきて目が覚めました。お腹もすいてきたので自宅に戻る

 

 ことにしました。親がいないことを確認すると、自宅に入りご飯を食べました。友達と連絡を取り、友達が

 

 お金を持ってくるので遊ぼうということになりました。その友達も学校に行っていませんでした。友達が

 

 お金を持ってくることになっていましたが、向こうの親のガードが固くて無理でした。その夜になって

 

 友達から「今なら大丈夫だよ」と言われたので、友達の家に行きました。すると、そこには友達の親と先生

 

 がいました。二人が かりで取り押さえられました。そのあと警察に行って取り調べを受けました。そして

 

 僕は学校に行かなくなりました。その原因は今の僕にはわかりません。

 

午後ティー君:なぜ、僕が引きこもったかというと、勉強についていけなくなり学校に行くのが嫌になった

 

からです。引きこもっていた時は何も考えていなくて、気づいたら寝て起きて、おなかがすいたら何か食べ

 

 て、ゲームをつけっぱなしにして、テレビを見る、こんな生活でした。友達や先生が連絡してくれました

 

 が、当時はただウザったく思うだけでした。運動もせず、ゲームとテレビで一日を過ごし、世のなかのほ

 

 とんどを恨んだり、嫌ったりしていました。家族は最初メチャクチャ怒っていました。兄弟関係もうまく

 

 いかなく なりました。でも今はすっかり変わっています。

 

マスク君:引きこもっていた期間は中学3年生の夏休みから高校1年生の夏ぐらいまでです。およそ1年間

 

 引きこもっていました。引きこもっていた理由は、自分でもよくわからないのですが、授業中にずっと寝て

 

 いたところ、担任ではない先生に叱られたことかもしれません。「受験はどうするんだ」この言葉から逃げ

 

 たのかもしれません。引きこもりの時には、親から「学校に行きなさい」と言われても行きませんでした。

 

 先生が自宅に来てくれても会いませんでした。朝、友達が来てくれてもトイレに閉じこもりました。

 

 引きこもりの時は悪い事ばかりしていました。それでも受験はやってきます。いつまでも中学生では

 

 いられなくなります。「高校に行くか決めなさい」と親に言われました。何も決めずに過ごしてきたので、

 

 どうしていいかわかりませんでした。でも高校に行くと決めました。入学式の日は行きました。その次の

 

 日から行かなくなりました。理由はわかりませんでした。朝になると、なぜ、学校に行かないのか考えま

 

 した。しかし、自分にはどうすることもできませんでした。高校は弁当が必要でした。お母さんは毎日

 

 弁当を作ってくれていました。引きこもりの時はみんなに迷惑を掛けました。引きこもりはダメです。

 

ティッピー君:自宅にいる時に、考えていたことは、「このままでいいのかな」「ねむたい」といった

 

 ことでした。引きこもっていた時、周りの人達は、僕を学校に行かせようとするけれど、僕は行きません

 

 でした。学校に行かない僕のせいで親も悲しんでいました。今は昔と違って、不登校はやさしいです。

 

 いわゆる不良(ヤンキー)が多いイメージですが、今は、ほぼ全員「いい 子」で優しいです。

 

 「フリースクール玄海」で周りの人達と話していると、そういう感じます。これは、 新聞とちょっと

 

 違うかな?と感じた部分でもあります。周りの先生方は、電話をしてきてくれたり、学校から 家まで迎

 

 えに来てくれたりしてくれました。でも、僕は学校に行くことはありませんでした。自宅から離れ、

 

  いろいろなことを学ぶ中で、全部周りのせいにしていると、人間、生きていけないと感じました。

 

 また、家族は、いつも僕のごはんを作ってくれていました。今ならそのありがたさに気が付くことが

 

 できますが、当時は、まったく心が動くことはありませんでした。

 

 Ñ君:自分は学校での人間関係が嫌になり、学校へ行くのをやめて引きこもりました。ずっと自分の

 

 ことを考えて、親ともうまくいかず、視野をせばめていきました。未来の事はもちろんのこと、

 

 何も考えず、 ただひたすら、同じことを考えていたと思います。生活習慣ももちろん、めちゃ

 

 くちゃでした。食べ物もあまり食べず、好きなことだけをして、現実から逃げていました。

 

 結局何を考えていたのか、当時の 心境は、あまり客観的な言葉で表現することは難しいです。

 

 言葉では言いようのないものでした。 周りのことは、とにかく自分優位でしか考えていませ

 

 んでした。もちろん、それで何かがうまくいくこともなく、結局周りを傷つけ、自分も勝手

 

 に傷ついて同じことの繰り返しでした。視野が狭まると、 苦しさから逃げるために、いろん

 

 なものを切り捨ててしまう。自分の現状から目をそむけ、義務を 遠ざけ、物事を先送りに

 

 して本当に考えることをやめてしまいます。今ではそれを本当に怖いと思います。自分と

 

 向き合うというのは、本当は自分のココロと向き合うのではなく、自分の行動と向き合う

 

 ということなのかもしれません。心理的な部分にばかり気をとられていると、袋小路に

 

 入り込んで、自分がやりたいことも、何もできなくなってしまうからです。

 

くきお君:自宅にいるとヒマだなと感じることが多くありました。せっかく引きこもったのだから、

 

 わざわざ勉強なんてしたくないと思って、学校のことなど、極力考えないようにしていました。

 

 それでも、引きこもり始めてから4ヵ月くらいになると、「いつかこういう生活も終わるのかな」

 

 と不安になっていきました。中学3年生になってからは、スクールカウンセラーの方から、学校

 

 以外にも登校する場所があり出席日数になることを教えてもらいました。色んな登校の方法が

 

 あることを 知って、少し頑張ってみようかなと思うようになりました。引きこもっている間、

 

 同級生が学校に誘いに来てくれました。そのときは、「なんでそんなに僕にかまうんだ」と

 

 嫌な気持ちにまりました。 僕が引きこもった理由は、小学生から中学生になるときに、

 

 別の学校からくる人はいるということでした。別の学校から来た人と接すると、小学校から

 

 一緒だった人の態度がガラリと変わってしまいました。 僕はそれがとても嫌でした。不登校に

 

 なってからの生活は、ご飯は親がいない時に食べ、お風呂は1週間に1回。トイレに引きこ

 

 もったり、夜の2時に寝て朝の10時に起きたりするような生活をしていました。引きこもっ

 

 ているときは、話しかけてほしくない状況であると自分でもわかっているので、そのことを

 

 踏まえて接してあげてほしいと思います。

 

デべきん君:僕は学校に行きたくなくて、引きこもった。1年くらい引きこもった。引きこ

 

 もっているときは、学校に行きたくない,ゲームをしたいと考えていた。理由は、学校に行

 

 ったら勉強をしないといけないし、ゲームは楽しいからだ。なぜ引きこもったのかは一言で

 

 言うなら、「勉強が嫌いだから」ということだろうか 引きこもった時にやっていたことは、

 

 寝ているか、テレビを見ているか、ゲームをしているかのどれかでした。なぜ、学校に行け

 

 なかったのかというと、最初は勉強がわからないから、勉強嫌いで行かない。そして、 1週間

 

 くらいたつと、学校のみんながどう思っているだろうかと気になり、教室に入りづらくなり、

 

 学校に行けなくなった。引きこもっている間、一度か二度、夜中のコンビニに行き、お菓子と

 

 ジュースを買ったことがある。すごくドキドキしたのを覚えている。悪の魅力というのだろう

 

 か。別にコンビニでお菓子屋やジュースを買うのは、悪いことではないけど、学校に行って

 

 いない自分が、夜中や入力こっそりと好きなものを買ったという冒険の気持ちを覚えている

 

 のかもしれない。そういえば、小学校4年生のこと、おばあちゃんの財布からお金を抜き

 

 取って、ゲームを買ったことがあった。今なら、そんなことはしないのに、ごめんなさい。

 

ネオンテトラ君:自宅にいるとき、僕はテレビやゲームが中心の生活をしていました。

 

 僕は中学に入ってから あまり勉強についていけなかったのが原因で学校が嫌になり、

 

 少しずつ休みがちになり、入学後1カ月くらいから引きこもり始めました。引きこもって

 

 いるときは、勉強や将来について考えていました。このままではいけない、少しずつ変え

 

 ていかないと大変なことになると、頭の中で、グルグル考えていました。しかし、何をして

 

 いいかわからず、周りにもこの気持ちを理解してくれる人がいなくて、なかなか行動に

 

 移すことができずにいました。最初の頃は、学校の先生や友達が家に来てくれたり、母が

 

 呼びに来てくれたりしていたのですが、時間が経つにつれ、少しずつその回数は減り、

 

 1年後には、全く誰も来なくなりました。これからも引きこもりの数は減らないと思います。

 

 一人でも味方してくれる人がいると心強いと思います。

 

スプリットチェンジ君:私は去年の6月に突然、引きこもり始めました。理由は、前日まで

 

 夜遅くまで遊んでいて、次の日の朝が眠くて起きることができなかったというものであった。

 

 眠気が強すぎて、学校に行く気分にならなかったということです。翌日からは、ちゃんと

 

 学校に戻ろうとしました。しかし、家から出ることはできませんでした。出たくない気持ち

 

 が強かったのです。そのまま、引きこもりを続けました。僕はそれまで、欠席もほとんどなく、

 

 勉強もがんばっていたので、当初、授業に遅れたくないという気持ちもありました。しかし、

 

 引きこもりを続けているうちに、めんどくさいことを全て投げやりにして、何もかんがえな

 

 いようにすると、学校の授業に遅れていることも気にならなくなりました。それでも、親は

 

 自分に何も言ってきませんでした。学校の先生が自分の家にやってきて、僕と話そうとして

 

 いました。私はそれも無視しました。その後、先生が来ることはもうありませんでした。

 

 学校の同級生や友達から手紙や電話をもらいましたが、それらを全て無視しました。

 

 そして、半年が経つ頃、親が新しい高校を勧めてきました。もちろん、私はそれを拒否し、

 

  広島の祖父母のところに逃げました。その後、「フリースクール玄海」に出会い、手を差し

 

 伸べてもらい、現在に至ります。引きこもり生活を振り返ってみると、毎日がとても楽であって、

 

 あっという間に過ぎてしまう楽しい時間でした。そんな私は特に誰かに寄り添って欲しいと

 

 いう気持ちにはならなかったように思います。

 

やなせたかし君:自宅にいる時に僕は、とてもゲームにはまってしまい、夢中になりがむしゃ

 

 らにゲームをやっていました。そのせいであまり学校に登校しなくなり、さらにそれが悪化

 

 して学校に全く行かなくなりました。学校のみんなは僕を忘れ、どこかよそよそしく、何人か

 

 しか以前のように話してくれませんでした。 たまに行く学校ではその少数の何人かと話を

 

 して過ごしていました。クラスの人は「久しぶりに顔を見たよ、おまえ」を出してきているように、

 

 とても緊張するようになりました。勉強するときにも、人見知りと久しぶりすぎるからか緊張し

 

 すぎる、とてもし集中して取組むことができる状態ではありませんでした。完全に不登校に

 

 なって全く登校しないようになった時のことです。お昼のです。3時と言えば当時の僕にとっ

 

 ては深夜です。その時間に玄関のインターフォンが鳴りました。そこには担任の先生がいました。

 

 僕を見るなりいきなり引っ張り出して、そのまま車に連れて行こうとするのです。無理やり車に

 

 乗せられて学校に連れていかれました。それからはこの先生とはとても会う気にはなれずに、

 

 さらに不登校の決意が固まりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オイスカ研修に行って

2019/08/10

 ㋇㏤から約一週間オイスカ研修に行きました。

 

 何故、みんなは帰省しているのにオイスカ研修に行ったのかというと、

 

 僕は中三に玄海を立志したのですが、自分の弱さで高三になってから

 

 学校をさぼりまくったからです。自己肯定感が皆無に近く、基本的に

 

 何においても成し遂げるような気はしませんし、自信もあまりありません。

 

 オイスカの研修生とは対照的で、彼らはやる気に満ち溢れていて、

 

 自分というものをしっかり持っている印象をもちました。

 

聞かずともみんな自分の夢をもってその夢に向かって

 

一生懸命に勉強しているのが分かったきがしました。

 

 自分は医者というぼんやりとした目標しかなく、具体的なことは何も

 

 決めていません。正直、医学部に合格できる可能性も、それに向かって

 

 勉強する準備もできていません。オイスカでの生活は決して楽なものでは

 

 ありませんでした。直射日光を浴びながらの農作業は想像していたよりも、

 

 もっときつかったです。だけど研修生たちの姿を見ていると、もう少しだけでも

 

 頑張ってみようという気持ちになったのも事実です。 オイスカ研修は終わって

 

 しまったけどあの気持ちを忘れないで自分の目標に向かって頑張ってみようと

 

 思いました。きっと途中で自分には無理だ。と思うだろうけど、やり続けると

 

 いうことをやってみようと決心しようとしました。

 

 短い間でしたが、ありがとうございました。

母からあなたへ

2019/07/27

あなたが生まれた時、3024グラムの元気な男の子でとても嬉しかったです。あなたがまだ

 

物心がついていない時、とても泣きわめく子でいつも苦労しました。あなたを初めて幼稚園に

 

入れて私と離れたとき、私もあなたもさぞかし不安だったことでしょう。しかしあなたは次第に

 

幼稚園に慣れていき楽しく過ごしていたことを思い出します。そしてあなたは小学生になりました。

 

転勤族だったため三つの小学校に通うことになり、苦労もしたでしょう。しかし、どの学校でも

 

なじんている姿を見てほっとしました。特に、小学校高学年になると毎日のように塾に通い勉強を

 

頑張っていましたね。そして、あなたの努力のおかげで中学校は受験し合格した私立校に通うことに

 

なりました。中一そして中二では途中でつまずきながらも勉強を頑張っている姿を見て

 

私は出来る限りのことを全てしました。しかしあなたは中三の六月五日から不登校になりました。

 

私はどうしていいかわからず最初は見守ることにしましたが、何も変わる気配がなかったので

 

フリースクール玄海に入れることに決めました。体験が終わる日、あなたは私を泣いて説得しましたが

 

私は意を決していました。今は、ブログを通じてあなたの活躍する姿を想像しています。

 

最近では、ボクシングを頑張っているみたいなのでどんどん腕を上げていってほしいです。

 

そして、あなたは将来何をしたいのでしょうか。私が思うことは、大学に行って就職先を見つけ

 

一人で生活できるようにしてほしいと思っています。まずは、好きなことを仕事にするのも

 

ありだと思います。

 

最後に、私はあなたの一番の味方であることを忘れないでください。困ったことがあれば

 

いつでも相談してください。まずは、目先の課題を一つ一つクリアしていってください。

 

あなたの母より

 

スプリットチェンジ

 

母の気持ちになって書いた作文です。

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